ポスト・コロナ

最近のニュースを見て思いだすこと。

蓮實重彦の25年前のエッセイ…

サラエボに住む人びとは、雨が降れば、世界の誰もがそうするように傘をさして外出する。雨よりも遙かに危険な砲撃に対して傘がまったく無力であり、それがいつ自分の頭上に炸裂するかもしれないと知っていながら、彼らは、それでも傘をさして外出するし、傘の選択には自分の趣味を反映させさえするだろう。それが現実というものにほかならず、砲撃から身をまもるのに無力だという理由で、雨の日に傘をさす人々を嘲笑するのは、非現実的である。ユーモアとはサラエボの傘を受け入れる資質なのであり…」(柄谷行人またはサラエボに住む人々も、雨が降れば傘をさして外出する)

今は誰もがこのシリアスな事象にシリアスに向き合っている。だがシリアスな事象にシリアスに向き合うことは、蓮實のいう「ユーモア」からもっとも遠く離れた態度だ。今そして未来の再設計に必要とされるのは間違いなくこの「ユーモア」であるはずなのだが…